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5件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2010-02-25 第174回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第1号

なぜそれが大事かといったら、当時の古代国家成立過程における権力構造を知る手がかりとなり、倭国東アジアとの交流を読み解くかぎになるんですね。  文化庁に伺っておきます。  文化庁としても、学術調査の申し出を行う、調査を行うという立場に立つことが大事だと思うんですが、どうですか。

吉井英勝

2001-10-25 第153回国会 衆議院 憲法調査会 第2号

これは、私がかつて「倭国と極東のあいだ」という本で書きました周辺国家日本の発想が強くこういう形で出たわけでありまして、この基本的な枠組みは、残念ながら今日もそう変わっておりません。そしてまた、戦争に懲り懲り、国家はすべてあしきものという感覚が経済的な私的利益を追求することを万能とする思想を生み、それが蔓延した時代でもありました。  

大沼保昭

1981-03-09 第94回国会 参議院 予算委員会 第4号

それからその次は倭国というのが出ますが、これはやがて日本人が気づいてこの倭国はやめにしました、従順という意味になるからですね。これはアイデンティティーをあのころ持っておった、あのころの日本人は。  それで邪馬台国が次に出てきますが、邪馬台国というのは中華思想に基づいて書かれたものですから、よこしまな馬の台の国とこう書いてあるわけなんです。それから卑弥呼というのがそこの女王ですね。

名越二荒之助

1966-06-23 第51回国会 参議院 文教委員会 第24号

隋書倭国伝に、推古天皇十六年に隋の答礼使として来日したひ裴世清に対して、聖徳太子が、「冀くは、大国維新の化を聞かん」と言われたとありますが、これは太子が隋の統一を模範としてわが国維新を目ざして国政の改革に当たっておられたことを示すものであります。こうした聖徳太子の新国家建設の成果として、わが国は隋と対等の国交を結ぶことができ、それとともに日本という国号を称し、天皇号を唱えるに至ったのであります。

平田俊春

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